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日常と非日常(小林 勝)
小林勝のHPにようこそお出でくださいました。
小林勝の 「非」日常をお見せします。日常 にちじょう なんて、お見せできまっせーん。
非日常 ひにちじょう だからお見せできるんですよ。
でもね、もし日常と非日常が一体化できたら、なんと素晴らしいことでしょうね・・・。
きっと、永遠の課題です。私にとって・・・。 ( 2011年7月 小林勝 )
2021年11月9日、瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになりました。99歳。
ご冥福を、お祈り申し上げます。 2021.11.19 小林 勝
<参照・引用/別冊家庭画報「家庭画報の京都」 2007.1> 2015.8.30 小林 勝
『源氏物語』を訪ねる たずねる 旅
訪ねる人 ― 瀬戸内寂聴 せとうちじゃくちょう さん
『源氏物語』の世界を読み手は現実と錯覚する
― 瀬戸内 寂聴 せとうち じゃくちょう
別冊 家庭画報 完全保存版 家庭画報の京都 <発行 (株)世界文化社 2007年1月版>
平安王朝を舞台に描かれた『源氏物語』げんじものがたり 54帖。物語の舞台そしてモデルとなった寺社仏閣、作者 紫式部 むらさきしきぶ にまつわる史跡は京都市中に数多く存在する。なかには後世の読み手の空想が生んだ史跡もあるほどだ。
物語の世界は読者が生きている現実の日常生活ではなく、あくまでも虚構 きょこう の非日常の世界。物語を読むということは、いわば日常から非日常の世界へと、こころの旅をすること。人物の性格、心情描写に優れているのはもとより、すべての点において完成された小説だからこそ、読み手は『源氏物語』が内包している"仮想現実"を現実と錯覚するかもしれない。これまで何度も訪れた四つのゆかりの地へと、私は出かけてみた。
『源氏物語』を描いた 紫式部と、その現代語訳をした私は、不思議な縁でつながっているのだろうか。かつて私は 廬山寺 ろざんじ のすぐ近くに下宿していた。数軒南寄りのしもた屋の二階である。その頃は 廬山寺が 紫式部の屋敷跡とも知らず、門前を通って勤め先の 京都大学附属病院へ毎日通っていた。
私にとっては人生の中で最も苦しい時代であったため、京都に住みながら食べることに精一杯で、名所旧跡をめぐる余裕は全くなかった。時の流れの中で寺周辺の風景も移ろいをみせ、私のいた下宿は今は大学の敷地になっている。しかし、その前の 梨木神社 なしきじんじゃ や 廬山寺はもとのままなのが懐かしい。
(2015.8.30 小林 勝)
<引用・参照> 「家庭画報の京都」の表紙と中のページの写真。
平安神宮や 廬山寺 ろざんじ に瀬戸内寂聴さんが たたずんでいます。
蘆山寺
紫式部が住んでいた邸宅跡に 蘆山寺はある。
式部が育ち、結婚生活を送り、「源氏物語」をはじめ、著作のほとんどを執筆した池。
「式部が琴をつまびき、書に親しみ、月を愛でる めでる 姿が思い浮かぶ」と縁側で庭を眺める 寂聴さん。
嵯峨野 さがの
場面設定に長けた紫式部は、嵯峨野をしばしば源氏物語の舞台として登場させ、男と女の哀歓 あいかん を切々と描き出している。
その巧みさに、彼女のつむぎ出す(紡ぎだす)物語が、まるで実際にあったことのように思えてしまう。